アガサ・クリスティ(1)

 

 アガサ・クリスティといえばミステリィ・ファンならずとも知らない人がいないほどの「ミステリィの女王」である。彼女の作品は100カ国語以上の言語に翻訳され、世界中で10億部、聖書とシェークスピアの次によく読まれているという。クリスティはギネスブックで「史上最高のベストセラー作家」に認定されているほどである。
 彼女の著作は現在確認できるものだけでも、長編66作、中短編156作、戯曲15作、メアリ・ウェストマコット(Mary Westmacott)名義の普通小説6作、アガサ・クリスティ・マローワン名義の作品2作、その他3作という膨大な数にのぼる。
 中でもクリスティ女史の功績の最たるものはやはり、エルキュール・ポワロやミス・マープルといった個性的な名探偵を生み出したことだろう。また、エドガー・A・ポウやコナン・ドイルの探偵小説のほとんどが短編であったのに対し、クリスティ女史の作品は長編であったことも見逃せない。イギリスでは1868年に発表され、T・S・エリオットにより「最初の最大にして最良の推理小説」と絶賛されたウイルキー・コリンズの「月長石」という長編作品はあったにせよ、本格的なシリーズ物の長編作品として探偵小説を最初に書き始めたのは、アガサ・クリスティであった。
  そして、その記念すべきデビュー作が1920年に発表された『スタイルズ荘の怪事件』である。ヴァン・ダインのデビュー作『ベンスン殺人事件』は1926年であり、エラリー・クイーンの『ローマ帽子の謎』は1929年の発表である。
 『スタイルズ荘の怪事件』の語り手は名探偵エルキュール・ポワロの友人であり相棒でもあるあのヘイスティングス大尉であり、もちろん名探偵ポワロの登場する最初の作品でもある。『スタイルズ荘の怪事件』は第一次大戦中に負傷したヘイスティングス大尉が療養のために、友人のジョン・カヴェンディッシュに誘われて逗留するスタイルズ・セント・メリー村の「スタイルズ荘」で起きる殺人事件をめぐる物語である。
 時代的には第一次大戦の末期頃のようだが、作品の始めで「午後の陽ざしの下に、緑したたるばかり平和に横たわっているエセックスの平野を眺めると、さほど遠くはなれていないところで、大戦争が決定的な段階に進みつつあるのが、ほとんど信じられないほどだった。わたしは、突然、自分が別の世界に迷い込んだような気がした」とヘイスティングスが感嘆するほどスタイルズ・セント・メリー村は平穏でのどかな村として描かれている。
 その一方で、「そうだよ、わが友、(イングルソープ)夫人は、そう、故郷をはなれ避難して来た、七人のわたしたち同国人のために、ご親切に救いの手をさしのべられたんだ。われわれベルギーの人間は、いつまでも感謝をこめて、夫人の名を思い出すでしょう」とポワロが回述しているように、明らかに第一次大戦の影はその足下に射している。
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