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羊飼いのレモール 

 

 先日、日本でも「ファンタージエン 秘密の図書館」が刊行されたミヒャエル・エンデの秘蔵っ子ラルフ・イーザウの代表作「ネシャン・サーガ」の冒頭にこんな話があります。
 主人公ヨナタンが九死に一生を得てハシェベド(杖)を手にようやく自分の村にたどりついたところで、羊飼いのレモールという老人を元気づけようと声をかけます。ところが、レモールはすれちがいざまにヨナタンの胸を激しくつき、ヨナタンは石壁に頭をぶつけてしまいます。
 腹を立てて帰宅したヨナタンは父とも師とも仰ぐナヴランにそのことを伝えると、ナヴランは「そのことから、とても大事なことを学べそうだな」と事もなげに言うのです。驚いたヨナタンは「どういうこと?人をののしってはいけないことぐらいわかっているよ。でもレモールがなんであんなひどいことをしたのかわからない」とうったえます。
 

 ナヴランは昨晩レモールの妻が突然亡くなったと告げ、こう続けます。「レモールのふるまいは、たしかによくない。だが、気持ちはわかる」と・・
 ヨナタンはいつもやさしかったレモールの奥さんの姿を思い浮かべ心臓が止まりそうになるほど驚いて、しばらくは呆然と黙り込んでしまいます。やがてヨナタンの口から出た言葉は「わかったよ」「人がわけのわからないことをしたからといって、軽々しく決めつけてはいけないんだ。思いもよらない理由があるかもしれないから」というものでした。
 長い冒険物語の冒頭にイーザウがなぜこんなたわいのない挿話を用意したのかは、ネシャン・サーガ全3巻を読み終わってのお楽しみ。
 最近の子供たちは本を読まなくなったとよく言われます。わたしの子供時代にはこうした良質のファンタジーはほとんどありませんでしたから、ル・グウィン・エンデ・ローリング・イーザウ・ストラウド・パオリーニと良質のファンタジーが続々と登場する時代にあって、こころから「もったいない」と思ってしまいます。本嫌いの子供でもマンガは読むのですから、楽しいと分かればきっと夢中になるはずなのですが・・

 

 

 ものばかりがあふれ、こころの中が空っぽになりかけている今の時代にあって、こうした良質のファンタジーが果たす役割は大きいと思っています。映画で見れば2時間足らずの話を1週間もかけて読むなんてと思わずに、是非、原作をお読み頂きたいと思います。
 子供たちが本を読まないと嘆く前に、大人がまずその面白さ楽しさを味わってみる必要があるのではないでしょうか?自分が楽しいと感じられないものを子供にばかり押し付けていないで、自分が楽しいと思うものも子供に薦めてみてはいかがでしょう?
 ナヴランのように答えを与えるのではなく、さりげなくヒントを与えて、子供に考えさせ、自ら答えを出させるよう導くことが本当の大人の役割ではないのでしょうか?羊飼いレモールの挿話はそんなことを考えさせてくれるという点で重要な意味を持っているような気がします。

 

 

 

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