虚無への供物(4) 夢野久作 

 

 1918年に第一次世界大戦が終結し、塹壕戦や毒ガスなどで大量の死者を出したヨーロッパに対し、直接第一次世界大戦を経験していない日本はまだ十九世紀的な時代を生きていたといえるのかもしれない。ヨーロッパでは既にキュビズムの時代が終焉し、シュールレアリズムの時代を迎えていた。にもかかわらず日本では、芥川龍之介にして「モーパッサン、ボードレール、ストリンドベリ、イプセン、ショウ、トルストイ」といった19世紀を代表する作家が取上げられる時代だったのである。

 一方の夢野久作は1926年に『あやかしの鼓』を雑誌『新青年』の懸賞に発表して二等に入選、作家デビューを果し、翌年の昭和2年(1927年)にのちの『ドグラ・マグラ』の原型となる『狂人』の執筆を開始している。ほぼ同時期の作品でありながら、芥川は空を見、夢野は現実を見ていたというと言い過ぎだろうか。ともすればリアリティに欠けると酷評されることの多い探偵小説だが、「地獄変」と『ドグラ・マグラ』とを比較する限りにおいて、探偵小説として書かれた『ドグラ・マグラ』の方によりリアリティがあるといえるのではないだろうか。少なくとも夢野は『ドグラ・マグラ』において呉青秀の「腐乱美人絵巻」は「変態性欲」の結果であると断言している。芥川の芸術至上主義的な観念倒錯は、ヒトラーのナチズムという倒錯観念にも低通しかねない危険性をも孕んでいるのではないか。
 

 山田正紀は『ミステリィ・オペラ』の中で「この世の中には異常(アブノーマル)なもの、奇形的(グロテスク)なものに仮託することでしか、その真実を語ることができない、そうすることでしか、その真実を語ることができない、そんなものがあるのではないか。君などは探偵小説を取るに足りぬ絵空事だと非難するが、まあ、確かに子供っぽいところがあるのは認めざるをえないが、それにしても、この世には探偵小説でしか語れない真実と言うものがあるのも、また事実であるんだぜ」と探偵小説作家小城魚太郎に語らせている。この言葉はまさに『ドグラ・マグラ』を評するのに最適なのではなかろうか。

 「確かに子供っぽいところがあるのは認めざるをえない」ミステリィが横行していることは認めざるをえないが、中井英夫の『虚無への供物』や夢野久作の『ドグラ・マグラ』や小栗虫太郎の『黒死館殺人事件』は「この世の中には異常(アブノーマル)なもの、奇形的(グロテスク)なものに仮託することでしか、その真実を語ることができない、そうすることでしか、その真実を語ることができない」作品であることは確かだろう。この傾向は特に中井英夫に顕著であり、彼は結局『虚無への供物』一作しか探偵小説が書けなかったのである。
 

 

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