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虚無への供物(1) 中井英夫 |
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笠井潔氏は『探偵小説論T「戦後探偵小説の内破」』を「戦後探偵小説の墓碑には、「虚無への供物」という暗示的な墓碑銘が刻まれている。巨大な恒星が極点で重力崩壊しブラックホール化するように、『虚無への供物』とは、戦後探偵小説の累積が内破することによって誕生した、一箇のブラックホールなのかもしれない」という大変印象的な言葉で締めくくっている。笠井潔氏にここまで言わせる『虚無への供物』という小説とはいったいどんなものなのだろう? |
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| 『虚無への供物』はアラビクという不思議なゲイバーを舞台として1954年12月10日に幕を開ける。「この当時、――だが、一九五四年という昔の出来事を正確に記憶されている向きも、」いまは少ないであろう。日本流に言って昭和二九年というこの年には、すこぶる陰惨な事件が多く、警視庁の調べによると、年間の殺人事件件数は、未遂を含めて三千八十一件、一日あたりほぼ八件という未曾有の新記録を樹立している。――つまり、このとし、この日本では、それだけの人たちが本気で誰かを殺そうと考え、企み、実際に試みたのである。そればかりではない、この年が特に意味深いのは、たとえば新年早々に二重橋圧死事件、春には第五福竜丸の死の灰、夏は黄変米、秋は台風十五号にさなか出航した洞爺丸の転覆といった具合に、新形式の殺人が次から次と案出された年だからでもある」。 『虚無への供物』は作中の探偵役牟礼田利夫によって「ザ・ヒヌマ・マーダー」と呼ばれるように、氷沼家に次々と起こる殺人事件を題材にして書かれたものである。氷沼家は「昭和九年三月二十一日夜の函館大火で、祖父の光太郎がむざんな焼死をとげたあと、残された三男一女のうち、まず長女の朱美が、広島の原爆で夫と子供(黄司)もろとも爆死し、今度の洞爺丸で、長男の紫司郎・三男の菫三郎夫妻が水に葬られた。――それは確かに、個人的な変死というわけではない、いわば日本の災害の歴史に殉じたともいえるのだが、当の氷沼家にとっては、どすぐろい運命の糸に操られているとしか思えない」と本編冒頭にも記されているように、呪われた一族である。「いま目白の家に生き残っている」のは「四代目の当主蒼司と、その弟の紅司、それに藍ちゃん(藍司)、そして、同居人の叔父橙二郎夫妻」だけである。 |
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| ここまでの話だとごくありふれた探偵小説にも見られる設定のように見える。しかし、この小説は最初の死人が出る以前に「……ついこないだ、牟礼田から来た手紙に、大変なことが書いてあったんだ。近いうちに氷沼家には、必ず死神がさまよい出すだろうって」などという予言めいた一文があったりする。さらに、「そりゃ昔の名探偵ならね、犯人が好きなだけ殺人をしてしまってから、やおら神の如き名推理を働かすのが常道でしょうけれど、それはもう二十年も前のモードよ。あたしぐらいに良心的な探偵は、とても殺人まで待ってられないの。事件の起こる前に関係者の状況と心理とをきき集めて、放っておけばこれこれの殺人が行われる筈だったという、未来の犯人と被害者と、その方法と動機まで詳しく指摘しちゃおうという試み」を実践しようとする素人探偵までが、事件前に名乗りを挙げる。 しかし、「一九五四年十二月二十二日。水曜。その夜、氷沼家は、九月の洞爺丸以来、ふたたび喪章に飾られた」。氷沼家の次男紅司が鎌錠でしっかり内側から閉ざされた浴室で死体となって発見されるのだ。ザ・ヒヌマ・マーダーはまさにここから始まる。この作品には二種類の探偵役が登場する。久生、亜利夫、藍司、藤木田老という野心満々の探偵志願者と、婚約者の久生にフランスから事件を予告したにもかかわらず、帰国してのち「ぼくには探偵の資格がない」とか「ザ・ヒヌマ・マーダーは存在しない」とか、頼りないことを呟くばかりの牟礼田俊夫である。作者は意図的に、前者の探偵たちを軽薄に、後者の真の探偵を沈鬱に描きわけている。 |
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