虚無への供物(2) 中井英夫 

 

 戯画的に描かれる奈々村久生など作中の探偵志願者の言動は、『十日間の不思議』のエラリー・クイーンや『黒死館殺人事件』の法水麟太郎において既に自覚化されていた探偵キャラクターの無根拠性を、ほとんど滑稽なまでに典型化した人物といえるだろう。しかし、犯罪のないところに犯罪を、謎のないところに謎を見出そうとする欲望は、架空の犯罪と犯人と人工的な謎に熱中する探偵小説読者において最も露骨である。ようするに探偵キャラクターとは、作品空間に導入された「読者」なのだ。謎と推理の物語を要求する読者に応えて、探偵は謎のないところに謎を発見し、さもなければ捏造しなければならない。大戦間の時代に完成された古典的な探偵小説形式は、読者の欲望の代行者に過ぎない探偵が、執拗に事件の真相と世界の真実を追い求める自立的なキャラクターだという、読者の錯覚において成立する。探偵サイドのキャラクターが探偵役とワトスン役に二重化される古典的手法も、こうした錯覚を読者に効果的に与えるものとして発明されたものである。「アンチ・ミステリィー」という言葉の生みの親である中井英夫自信が、クイーンの『十日間の不思議』や『九尾の猫』に無自覚だったはずはない。
 久生、亜利夫、藍司、藤木田老という野心満々の探偵志願者たちは、アラビクに集い推理合戦をしたり、ヴァン・ダインの『僧正殺人事件』に習い、犯人の心理を確認しようと麻雀大会を開いたりする。その麻雀大会の最中に叔父橙二郎が閉ざされた自室でガス中毒死してしまう。
 素人探偵たちの推理は続くが、「架空の人物の架空の犯罪。そして架空の探偵たち。ザ・ヒヌマ・マーダーなど初めからありはしなかったのだろうか、といぶかしむ亜利夫を後にして、緑司は吉村夫妻が予定どおり引き取って四国へ連れ帰り、圭子(橙二郎の妻)は相応の金で別れ話がついた。そして完全に敗れ去った名探偵藤木田老も、長い間陣取っていたホテルを引き払って、新潟へ帰っていった」。「死人の業はまだ終わりを告げず、父系家族の最後の生き残り――祖父光太郎の妹で、高齢を保っていた綾女が、戸塚の老人ホーム聖母の園で、九十余名の老女たちとともに、無残な焼死をとげたのである」。しかも、警察の調べでは焼死体の数が一名分増えていたというのである。そして真の探偵役となる牟礼田利夫がフランスから帰国するが、帰国早々「僕には探偵の資格がない。藤木田氏が引退したからって、ピーター・ガンス(イーデン・フィルポッツ『赤毛のレドメイン家』などの登場する名探偵)ばりに事件を解決する役は、勤まりそうにないな」などと心細いことを口にする。
 

 牟礼田は「一口にいえば、それはまったくの“無意味な死”の連続だろう。ひとりとして人間らしい死に方をした人はいない。……これくらい無意味な死が続けば、氷沼家に潜在する力が爆発しても不思議はない。どこかでそれを押し留めようとする働きが起こるのは当然なんだ。しかし、それがぼくにはとてもおそろしかった。その力は、爺やの畏怖していた不動明王のように、凶暴な破壊力をふるうだろうという気がした。案じたとおり、紅司君と橙二郎氏が犠牲になったが、パリにいるとき、蒼司君だけはそれに巻き込まれないようにと思って、それで奈々に守ってほしいと手紙を書いた……」巻頭の謎めいた予言の説明をするが、亜利夫たちは「牟礼田の言うことは、確かに半ばは事件の核心をついているようでもあるけれど、半ばはまるで判らない。潜在する力とか働きとかいっても、まさか誰かが夢遊病者のように、無意識のうちに殺人をして廻ったわけでもあるまい」などと考えている。
 中井英夫が乱歩賞に応募した『虚無への供物』はほぼここまでである。「作者が『虚無への供物』を、アラン・ロブ=グリエやビュートルを超えるような二〇世紀小説として構想したことに、ほとんど疑問の余地はない。この作品は一九七〇年前後に集中している戦後作家の代表作、大岡昇平『レイテ戦記』、武田泰淳『富士』、野間宏『青年の輪』、三島由紀夫『豊饒の海』などの先駆としても評価されるが、これら戦中世代の代表作と比較しても、二〇世紀的な小説を解体する意識において、はるかに深く同時代のフランス前衛小説の意識性と共鳴している」と笠井潔は評しているが、探偵小説としてこの第二章までではクイーン的にいう「問題篇」に過ぎず、「解決篇」を欠いている。つまり誰が犯人か、さらには紅司・橙二郎・綾女の死が殺人なのかさえ解明されないままこの小説は幕を下ろすのである。ポーを祖とする英米の古典的探偵小説は「謎―合理的解明」を支柱として形成されてきた。日本でも江戸川乱歩を祖とする探偵小説は夢野久作の『ドグラ・マグラ』を除いてはほぼ例外なくこのパターンを踏襲していた当時の状況を考慮すれば、大下宇陀児や木々高太郎がこの作品に異を唱えた心境も理解できなくもない。
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 中井英夫は「三一版作品ノオト」のなかで、「この物語の構想は、一九五五年の一月、いきなり全編の結末まで頭に浮かんだが、その後の現実があまりにも物語どおりに進行するのに呆気にとられ、いつまでも完成できなかった。思いきって前半、第二章の終わりまでを書きあげて、一九六二年度の江戸川乱歩賞に応募してみたが、あいにくとそのとしは、戸川昌子と佐賀潜という卓抜な受賞者がいて、次位にとどまった。ただ乱歩さんは、前半だけと知らずにたいへん気に入って、詮衡日まで受賞作はこれに決めたと洩らされて由、人づてに聞いた」と書いている。
 しかし、江戸川乱歩賞に落選した直後、昭和三十七(一九六二)年八月五日の日記に「そこに私が描こうとしたのは、すべての倫理、すべての生活感情を裏返しにした、完全な陰画世界であった。ふだん見慣れた白黒の陰影が、そのまま裏返しとなって、ふしぎな美しさを、異様な現実感を醸し出すその手法は、すでに映画やテレビではふんだんに用いられているけれども、小説ではアンチ・ロマンの一群の作品でさえ、なお果たし得てはいない。私はそれに成功し、そのために拒否された。私の小説は、夏の薔薇のように沈黙し、丈長い茎を風にそよがせているばかりだ」と痛切な言葉を記していることを考慮すれば、未完の作品をそのまま応募したとはどうしても思えないのである。
 既に全編の構想があったという中井の言葉を信ずるにしても、第三章・四章・最終章と書き続けられて1963年に脱稿されなければ、『虚無への供物』は果たして、ここまで高い評価を得られただろうか?中井自身は第二章までで充分ひとつの作品として成り立つと考えていたからこそ、乱歩賞に応募したに違いないのだ。しかし既存の読者や評者は古典的な作品にならい「解決篇」を要求したということなのだろう。『虚無への供物』が「アンチ・ミステリィー」である以上、「解決篇」など必要ないはずであった。だから、中井英夫は苦悶しながら「解決篇」ではなく「アンチ・ミステリィー」としての「解説篇」を書いたのではないかと私は推測している。
 「だから『虚無への供物』という作品には、奇妙な両義性が刻まれている。それは本格探偵小説の不可能性において可能性を追求し、可能性において本格探偵小説の不可能性を立証してしまうのだ。堂々たる古典的な骨格をもつ大長篇の底には、禍々しい自壊の予兆が不可避に孕まれている」と笠井潔は指摘している。
 

 

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