帚木蓬生の『臓器農場』を読み終えました。パトリシア・コーンウェルに『死体農場』という作品があり、調べてみたら「臓器農場」が1993年の発行なので若干先ということになるようだ。『死体農場』は翻訳年が1994年なので、原作の”BODY FARM”の方が出版は先なのかもしれませんが・・
帚木蓬生という名前はあいうえお順で東野圭吾のすぐ前なので、図書館の書架でよく目にしてはいたのですが、「はかきぎ」という字が読めずになんとなく「ほうき」と読むのかもしれないと思い込んでいました・・^^;「エンブリオ」の評判を聞き、ネット検索をしたら著者帚木蓬生は東大仏文科を卒業後、TBSに就職したあと、九州大学医学部を卒業し、現在は精神科医と知って興味を覚えました。
『臓器農場』はミステリーというよりも、ドキュメンタリーのような感じを受けました。医学の素人にとっては、無脳症児を人口出産することが実際に可能なのかさえ分かりませんが、可能ならば実話として通用しそうな感じです。特に病院の周囲の風景が繰り返し描かれているので、そんな感じを与えるのかもしれません。具体的な地名はほとんど出てこないので、多分九州のどこかにこんな場所があるのだろうと想像しながら読み終えましたが、立地環境としては申し分のない病院が見事に描かれています。
ただ、理想的な病院の中で実際に行われている医療の内容が無脳症児を人口出産して、その臓器を移植するという、まさに「臓器」のための「農場」だと知って戦慄を覚えます。「臓器移植法」制定前の作品ではありますが、1997年の制定以降も本人の提供意思表示が認められない15歳以下のドナーが認められていないため、日本国内では子供の臓器移植がほとんど不可能な状況になっています。臓器移植を希望する子供は移植臓器のあるアメリカで手術を受けざるを得ないというのが実情のようです。
日本という国はこれだけ出産率が低下し、人口の増加率がマイナスに転じているのに、子供の教育や医療に関して無知過ぎるのではないでしょうか?緊縮財政の中で国の教育費が削られれば、貧富の差による教育格差が復活します。高度医療の恩恵を受ける老人ばかりが長生きして、臓器移植を断念せざるをえない若い命が散り続けるでしょう。現在の日本の国を支えているのは大人たちですが、その未来を支えるのは間違いなく子供たちなのです。その子供たちの数が減少し、しかも将来受け取るものは国の多額の負債だけだとしたら・・
『エンブリオ』では受精卵を男性の体内に着床させ、一定期間(20週程度)育成し、体内から手術で取り出し「人口子宮」に移し、24週目あたりから保育器で育てるという怖い話ばかりがクローズアップされているようですが、同時に日本の「人口中絶」のあり方を問うてもいるのです。事実を確認したわけではありませんが、現在日本で出産される子供の数と「人口中絶」される胎児の数は同じだと主人公の医師は語っているのです。
また、胎児を傷つけるとアメリカでは有罪になるけれども、日本では「胎児」に人権は認められていないので罪にならないから、パーキンソン病の患者に「人口中絶」した我が子の脳を移植することも日本でなら可能だという話もありました。以前FOXテレビで見た「シカゴ・ホープ」という医療ドラマでアルツハイマーの患者に我が子の脳を移植しようとした脳外科医が苦悩していたのも、こうした背景があったからなのでしょう?
宗教観の違いからか日本では未だに「脳死」に対する抵抗感が強いようですが、その反面多くの「胎児」がモノとして破棄されているということも考えなければならないのではないでしょうか?死に行く者に配慮する気持ちも勿論大切ですが、これから生まれてくる命がもっと尊重されていいのではないでしょうか?
物語や登場人物の是非はともかく、帚木蓬生の作品には現代の日本に内在する矛盾や不条理が丹念に分かり易く描かれています。「医師も人間である以上、国家としての法整備をきちんとしないと怖いことになりますよ」というのが帚木蓬生のテーマであるような気がしています。
現在国会では子供の臓器提供を何とか可能にしようという法案が検討されていますが、「脳死移植の拡大には慎重な意見もある。日本弁護士連合会は先月、意見書を国会などに提出した。「脳死は人の死」とする考えについて「社会的合意は成立していない」として、本人による意思表示と、現行より厳格な脳死判定を訴えている。一方、日本小児科学会は「小児患者の意思を親が代弁することは、子どもの人権尊重をうたう『児童の権利に関する条約』の精神に反するほか、児童虐待などのケースでは不適当」としている」(読売新聞)などの意見も根強く、「提供に本人の意思が必要かどうかで意見が割れ、法案は一本化できなかった」ため現状では法案提出もできていない状況のようです。
「胎児」を人間と認めていない国で、「脳死は人の死とする考えについて社会的合意は成立していない」という弁護士会の意見も、「小児患者の意思を親が代弁することは、子どもの人権尊重をうたう『児童の権利に関する条約』の精神に反する」という意見も詭弁に聞こえてしまう。
「臓器提供」はあくまでも任意であり自由意志でなされるもののはずで、第一義に考慮されるべきは「提供者」の意思であり、「提供者」の意思が明確でない場合はその親権者が責任を負えばすむことではないのでしょうか?人の命を助けたいという善意を無視するような法律があってはならないと思うのは私だけでしょうか?宗教観の違いで戦争をするのも悲劇ですが、助かる命が救えないのも悲劇のはずです。宗教上の理由から輸血を拒む親の意思が尊重されるのに、助かる命を救いたいと願う親の意思は無視される。これが今の日本の法律や医療のあり方だとすれば問題だと思います。私たちが子供たちに多額の負債を残すことは確実です。だとすれば、彼らが少しでも暮らしやすくなるような法律をきちんと整備しておいてあげる事が大人としての義務ではないでしょうか?
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