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医 龍(2)

 朝田はベンタールの緊急手術を決断する。しかも無輸血で…循環停止限界の40分以内にベンタール手術を終えると宣言したのである。しかし、実際に開胸すると乖離が弓部大動脈にまで及んでいた。『医龍』で藤吉の娘の代わりに加藤助教授が野口教授に朝田の腕を見せるために選んだ患者がこの弓部大動脈の置換手術だった。この手術は霧島助教授の策略で北日本の霧島の手でオペされることになるのだが、手術時間は39分であった。大動脈基部の置換を目的とするベンタール手術では大きな縫合箇所は上下の2箇所であるが、脳へ走る2本の血管と左手へ走る1本の血管のある弓部大動脈の置換には最低でも5箇所の縫合が必要になる。この難手術を霧島は39分でやりきったのである。
 朝田は迷わず弓部大動脈置換手術から始めることを宣言。朝田の脳裡にはこの霧島の手術時間があったはずである。周囲の動揺を他所に36分で朝田はこの置換手術を終える。残り3分数十秒ではとてもベンタール手術は無理である。北洋病院での手術が進行する一方で伊集院は知り合いの教授からバーディーバー適合患者の住所を聞き血液確保に向かっていた。院長の善田と藤吉は懸命に血液センターで血液を探している。

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 バーディーバー適合者の自宅に辿りついた伊集院だが適合者は外出していて携帯でもでも連絡がつかない。近くのショッピングセンターを探し始めた伊集院に「明真にだって医者はいるんだ」といって野口の命に背いて木原が助けの手を差し伸べる。しかし適合者は見つからない。一方血液センターで400ccの冷凍血液を確保した藤吉だが、血液搬送車が事故渋滞に巻き込まれ一歩も進めない状況になっていた。
 朝田は血液がないままベンタール手術に踏み切った。それも血液希釈という方法で…自己血をリンゲルやアルブミンなどの輸液で薄め人工心肺を廻すというのである。リザーバーにある血液は880ml。手術中に体内で消費される血液があるため、リザーバー内の血液が700mlを切ると、手術は成功しても患者は人口心肺からの離脱ができなくなってしまう。それは患者の死を意味する。700mlがまさにデッドラインだ。

 朝田は伊集院や藤吉という今は手術室にいない仲間を信じて自分にできることを為そうとしているのだ。しかし、血液希釈という方法にMEの野村が動揺を見せる。「僕が死なせてしまう」といい始めるのだ。朝田は「おまえだけじゃない。オペが怖いのはおまえだけじゃない。命を前にして怯えのないものなどいない。だけど俺たちはチームだ。お前の後ろには仲間がいる」と言い、「おまえは一人じゃない」と野村を励ます。
 その頃、北洋病院のオーナー片岡は麻酔医の小高七海に「あなたがオペ室に入らないとあの子は確実には死ぬ」と言っていた。片岡は朝田の血液希釈を予想していたのだ。明真大学病院の院長に就任した鬼頭も感じていたことだが、この片岡一美という人物は間違いなく医者だったはずである。それもかなり優秀な。「理念のある医者には徹底的に潰れてもらいます」と朝田の北洋への移籍を野口に進言した片岡だが、この言葉は自分もかつて理念を持った医者だったということを暗示しているように感じられた。小高との会話の中で「まだ17歳よ。親の前で見殺しにしてもいいの?」と片岡は思わず本音を口走ってしまう。
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 不審そうに見つめる小高に対し「あの子は議員の娘よ。私のビジネス構想のためにはあの子を死なせるわけにはいかないの」と言葉を続けた。ここまで正体不明だった片岡一美という女性の素顔が少しだが見えたような気がした。彼女はかつて優秀な医者であり、医者としての理念を持っていた。しかし、ある患者の死を前にして医者を続ける自信を失ってしまった。なまじ理念などを持っていたために自分が潰されてしまったと感じた彼女は経営者として医療に携わり、医療をビジネスライクなものとして考えようとしている。そのためにはスタンスがまるで違う野口とも手を組む。徹底的なリアリストで自分の理想を実現するために野口の構想に手を貸す鬼頭笙子ともスタンスは異なるが、鬼頭笙子も片岡一美も緒方美羽という患者を助けたいという想いは共通していた。この一点において彼女たちは野口と根本的に異なっているのである。

 話を戻そう。血液希釈処理を始めた手術室に「私もちょっと乗っかろうかなぁ」と言いながら小高七海が現れる。MEの野村に的確な指示を与える小高。小高の姿を見て、一心不乱に手を動かす朝田。ベンタール手術は進行してゆく。問題児の外山も懸命にグラフト採取をする。新しいチームが徐々にではあるが機能し始めている。その頃、伊集院は藤吉の指示で血液センターからの血液をバイクで受け取りに動いていた。渋滞を縫いなんとか血液バッグを北洋に届け、見学室に駆け上がる伊集院。すでに人工心肺装置は止まっていた。間に合わなかったと伊集院が呟いた瞬間、カシャリという器機を置く音が手術室に木霊する。「ベンタール手術終了」朝田の静かな声が続く。見学室の伊集院に目で成功を告げる朝田。そこへ血液が届けられ野村が受け取り人工心肺が再び動き始める。野村は伊集院と笑顔でうなづき合う。
 手術成功の報告を聞いた野口は呆然と椅子に座り込んでしまう。そこへ木原が入って来る。野口の命に背き、血液探しを手伝ったことを懸命に詫びる木原に、野口は「よくやったよ君」と不気味な笑みを浮かべながら声をかける。恩田代議士の元に呼ばれ心臓移植認定施設許認可の後押しはできないと宣告される野口と片岡。野口の施設管理者としての資質を恩田代議士は問題視したのである。しかし、野口は北洋病院で娘さんの手術をしたのは明真から派遣された医師木原だと公言し、片岡にも同意を求める。「そんなこと信じられるか?」と激怒する恩田に片岡は「信じてもらわなければ困ります」と恩田のスキャンダルを口にする。

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 その一方で病室の美羽を見舞った片岡は、美羽の幼少時代に大怪我を負った彼女を救ったのは父恩田哲三だったと告げる。これは真っ赤な嘘である。秘書にその理由を問われた片岡は「今彼女が騒いでマスコミに嗅ぎつけられたら恩田先生困るでしょ。私も困るの」と恩田をスキャンダルに巻き込むわけにはいかないからだと告げる。恩田のスキャンダルを口にして明真に心臓移植認定施設の認可をせまる一方で、恩田をスキャンダルから守ろうとする片岡の頭の中には北洋病院を潰し高所得者向けの医療施設設立という目論見があることは間違いない。そのためには提携先としての明真の心臓移植認定施設許認可が絶対的な条件となる。恩田を脅迫してでも成し遂げなければならない使命と片岡は考えている。しかし、片岡は美羽を見殺しにはできなかった。なんとか血液の手配をしようとして結局諦めた鬼頭とも異なる感情を片岡は明らかに持っている。「僕の仕事のパートナーに甘っちょろいヒューマニストはいらないからね」という野口の言葉に青ざめる片岡。おそらく片岡は自分の中に潜むやさしさを弱さと感じ、それを懸命に封じ込めようとしているように見える。封じ込める手段としてビジネスライクを強調し野口を利用していたのではないかと推測している。
 『医龍』の最初のバチスタ患者に奈良橋元婦長を選んだ時、野口に「君は論文と患者、どっちが大事なの?」と問われた加藤晶が「両方です」と答えたシーンを思い出す。医者にとって患者と真っ向から向き合うことは大変な試練となる。特にその患者が死んだ時は…だから大半の医者は患者から距離を置くようになると奈良橋元婦長は語る。患者の顔ではなく患部だけを見る医者が増えるのは当然のことなのかも知れない。医療とは人の死と向き合うことなのだ。「医は仁術」という言葉があるが、これはごく限られた医者しか存在しなかった時代の遺物でしかない。かつては能力も高く人格に優れた人だけが医者になった。少なくとも西洋医学ではそういうことになっている。何故なら医者になるのは大変でそれに見合う収入が少なかったからだ。ところが今では医者は儲かるため(平成12年の段階で勤務医は一般サラリーマンの平均年収の3倍以上、研修医でも今は30万円ほどの月収が保証されている)、偏差値の高い人間が医者になる時代である。少なくとも日本ではそうなっている。どの大学を見ても偏差値が最も高いのは医学部と決まっている。偏差値の高いことは悪いことではないが、偏差値が高い人間が必ずしも優れた人間とは限らない。特に医師国家試験がペーパーだけで行われている日本では面接などでの人格審査などが行われないため、『医龍』の野口のような人格に問題を抱える医者も少なくないはずである。これは医者の責任というよりもむしろ国家の制度の問題なのかもしれない。
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