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医 龍(3)
 第5話の終わりに明真から美羽の医療記録引継ぎのために主治医の藤原が北洋病院を訪れるシーンがあった。この藤原という医者はかつて慶真大学病院(麻酔医の荒瀬が麻酔導入薬の臨床実験をしていたとされる大学病院)で、人工透析の除水量を間違えたとしてMEの野村を北洋に飛ばした張本人である。除水量の指示はあくまでも医者の役目でありMEの独断でできることではない。野村にとっては藤原が自分のミスを隠蔽するための全くの濡れ衣であった。それ以来、野村は外科医を怖がるようになっていたのだ。このシーンで野村が「先生のおかげで、本当のチームとはどんなものかを学ぶことができました。ありがとうございます」と藤原に深々と頭を下げるのである。その後、明真に戻った藤原は野口から主治医としての責任を取らされて解雇を宣告されることになるのだが、野村の姿勢には皮肉や非難の色は少しも感じられなかった。難解なオペを乗り切れたという自信もあったのだろうが、彼の持つ純粋なやさしさがさせた行動だろうと思っている。伊集院もそうだったが純粋なやさしさは弱さとの諸刃の剣である。特に人の命を担う医療の世界ではその切っ先の鋭さはひとしおだろう。だからこそ彼等には互いに支えあう仲間やチームが必要になるのだ。
 それは朝田や藤吉のような特別な医者でも同じである。NGOを離れ日本に戻った朝田は北日本の霧島の手回しで勤務する病院も見つからぬまま借金にまみれた生活を強いられていた。それを救ったのが明真の加藤晶助教授だった。『医龍』の最終話で朝田は「お前のおかげで強くなれた」と加藤に礼を言うシーンが印象的に強く残っている。その加藤自身も明真で大学病院を変えるために教授を目指している間に「ミイラ取りがミイラになっていた」。その上、恋人の霧島にも裏切られることになる。その加藤の魂を救い教授にしたのは朝田である。「外科医は患者を人として見ていない」と徹底的に外科医を嫌っていた藤吉も朝田に救われる。
 どんな人間でも人間である限り長所もあれば欠点もある。人間が互いに自分の欠点を相手の長所で、自分の長所で相手の欠点を補完し合うことができれば、それは素晴らしい仲間でありチームになる。しかし、現状の私たちはこの凹凸の組み合わせが上手くできずにいる。偏差値の高い人間が自分の欠点に目をつぶりエリートとして弱者の上に君臨しようとし、弱者は互いの傷を舐めあうように身を寄せ合って生きている。自分の欠点に目をつぶることによってエリートはエリートとしての資格を失い、弱者は自分の長所を見つける努力を怠っているが故に弱者のままであり続ける。こうした社会の中では医者はエリートとされ、患者は弱者とされる。
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 しかし、医者も人間である以上必ず欠点がある。また、教師が教え子たちから学ぶことが沢山ある以上に、医者には患者から学ぶことが沢山ある。何故なら医学の進歩は数多くの患者の死の積み重ねによって得られた成果に過ぎないからである。病気がなければ医者は必要ない。患者あってこその医者なのである。それを自覚しているのがいい医者であり、それすら自覚できないでいる医者は医者としての資質に問題があるといわなければならないだろう。現代社会において「医は仁術」ではなく「医は忍術」というべきなのかもしれない。医者は常に人の死と向き合っていかなければならないために、その死を受け入れ耐え忍ぶ力が必要なのだ。「命を前にして怯えのないものなどいない」という朝田の言葉をもう一度思い出して欲しい。そのために医者は技術を磨くと同時に、心も磨く必要があるのである。

 『医龍』を見ていて非常に印象的なことが他にもある。それは医者が頭を下げるシーンが非常に多いということである。それも体をくの字に深々と頭を下げるシーンがである。平の医局員が教授や助教授に頭を下げるシーンなら『白い巨頭』などでもしばしば見られた。しかし『医龍』では医者が患者に、医者が同僚の医者に頭を下げるシーンが非常に多いのである。最初に印象に残ったのは藤吉が院内感染で死亡した患者の遺族に土下座をするシーンだった。体力のない患者を外科に任せて手術をさせた自分の責任だと藤吉は朝田に語る。「手術が必要だったのだろう」という朝田の言葉に、体力のない患者が院内感染にかかることは予想できたと藤吉は反論する。不可抗力ではあるが、患者の死に責任を感じる藤吉という医者の人間性を端的に表現するシーンであった。
 また、最初のバチスタ手術の時に、朝田が看護士のミキにグラフト採取を命じた際、強行に反対するスタッフの前で、「あなたがわからなくなったわ」と言う助教授の加藤晶に対し、朝田が「たのむ、加藤」と頭を下げるシーンも非常に印象的だった。医者や政治家といった職業の人間は頭を下げたがらない傾向が強い。日本には「実るほど頭を垂れる稲穂かな」という良い諺もあるのあるのだが……医者の場合、医療過誤と捉えかねないケースもあり、職業柄不要な誤解を受けたくないという気持ちも分からないわけではないが、先にも述べたように患者あってこその医者であるという気持ちがあれば、藤吉のように素直に頭が下げられるのではないかと思う。

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 研修医の伊集院はその立場を考えれば頭を下げる機会が多いのは当然である。それでも、第8話で最も軽蔑していた荒瀬に対して「もし僕に腕があれば、あなたみたいな人に頭は下げません。気持ちだけで患者が救えるなら頼むもんですか」と深々と頭を下げて手術室に入ることを頼むシーンには胸が詰まった。自分の無力さを認め、自分の最も軽蔑する人間に対し、患者のために頭を下げているのである。ここにも伊集院登という医者の人間性が素直に表現されている。
 助教授の加藤晶も朝田の行為に対し、野口教授に度々頭を下げている。下げたくて下げているのではない。朝田がいなければ彼女のバチスタ論文が成功しないという打算があってのことである。しかし、最後に彼女は育ってきているチームを守るため、自分の論文を野口の手に渡し、チーム存続のために頭を下げるのである。人は自己保身のために頭を下げるのは易しい。頭を下げるのはタダなのだから。いらぬプライドさえ棚上げにできれば。人が偉くなるほど頭を下げなくなるのはこのプライドのためである。しかし、頭を下げることで傷つくとすれば、それは底の浅いプライドでしかない。自分の職業に真のプライドを持っている人間なら、相手が誰であろうと素直に頭を下げられるのではなかろうか。人に頭を下げるという行為は決して恥ずかしい行為ではない。むしろ勇気ある行為である。そこにその人の気持ちがこもっていれば……
 近頃不祥事続きで、会社役員、政治家、官僚等が記者会見で頭を下げるシーンがやたらと報道されている。しかし、何故か彼等の真意が伝わってはこない。これはTV画面を通しているからそう見えるという感じではでない。本当に悪いと思って頭を下げているとはどうしても思えないからだ。日本の文化はよく「恥じの文化」だと言われる。かつて恥と感じた時、武士は腹を切った。頭を下げることを恥と感じたからではなく、頭を下げたくらいでは自分の恥はすすげないと考えていたからに他ならない。武士にとって恥とはそれほど重いものだったのだ。やがて、腹を切らなくなった日本人は頭を下げることを恥と感じるようになってしまった。さらに悪いことに恥という概念を喪失した今の日本人は形だけで頭を下げるようになってしまったのだ。そんな人たちに是非この『医龍』を見て、頭の下げ方を学んで欲しいと願っている。『医龍2』の第6話では誰がどんな頭の下げ方をするのかにも注目したい。
 第6話で頭を下げたのは血管外科医の外山だった。あの鼻っ柱が強くつぱっていた外山がである。冒頭で朝田に敵意をむき出しにする外山に対し、朝田は「お前には医者として決定的に欠ける部分がある」と突き放し、外山のチーム入りを認めない。外山は東都大学医学部教授の末の息子であり、兄たちも東都大学の医学部講師であることがMEの野村の口から明かされる。そこに救急車から朝田の手術を希望する患者を搬送しているという電話が入る。朝田はすでに大動脈弁置換術のオペのために手術室にはいっていたが、外山は「朝田はいますよ」と言って患者を受け入れる。北洋病院に到着した患者の夫が朝田が手術中と聞かされ話が違うと怒り出す。外山は朝田よりも腕がいい医者がいるといい、大動脈弁置換術の緊急オペを開始する。開始時間は共に午前十時だった。朝田がオペを終え、ICUに駆け付けるが富山のオペは既に終わっていた。同じオペで朝田は3時間、外山は2時間半だったのである。朝田よりもオペの所要時間が短かったことを自慢げに語る外山。術後の経過も良好だと看護士も朝田に告げる。
 外山の大動脈弁置換術のオペ時間が朝田より短かったことで、外山の院内での評価が上がる。外山は鼻高々で患者の五代明代の病床に顔を出す。そこで外山は自分の家は教育一家で自分の居場所がなかったことを明代に告白する。外山は自分を唯一可愛がってくれた祖母の姿を明代に重ねていた。自分が明真で理不尽な講師を撲って北洋に飛ばされたことを告白し、外科医は腕が全てだと強がって見せる。「随分つっぱっているのねぇ」と明代に言われ、「人間は所詮ひとりだ!」と反論する外山は、「人はひとりじゃ何にもできない。人は周りに生かされているのよ」と明代に諭されるのである。『医龍』の第2話で末期癌患者佐々木文子という老婆に感情移入した伊集院の姿を思い出した。共に医者は患者に学ぶことがあるということを実感させてくれるシーンだった。

 その頃大型の台風が北洋病院を直撃する。大雨を前に躊躇いを見せる人たちを他所に、麻酔医の小高七海はさっと傘を広げると躊躇うこともなく大雨の中に歩み出してゆく。小高という麻酔医には深い闇があると荒瀬は看護士のミキに告げていてが、こうした行為の裏にも荒瀬とは違ったある種の決意のようなものが感じられた。雨の中で待ち受けていた荒瀬が「本気で朝田についていける麻酔医は俺とお前だけだ。お前の腕はまだ錆付いちゃいないぜ。朝田のチームに入れ」小高にチーム入を勧めるが、小高はあっさりと拒否してしまう。「まだ、まだあのことに拘っているのか?」という荒瀬の問いかけに小高は一瞬足を止めた。緒方美羽のベンタール手術の際、片岡が言った「まだ17歳よ。親の前で見殺しにしてもいいの?」という言葉が気にかかる。あの時点ではこの言葉は片岡の本音だと感じていたが、もしかするとこの言葉は小高の過去に向けられた言葉ではなかったろうか?片岡が小高の過去を知らないはずはないのだ。小高が「あのベンタール手術は特別」と強調する理由もその辺りにあるのではないか?いずれにしても彼女がチームに入るかどうかはまだまだ先の話になりそうだ。小高の心の闇は相当暗くて深いようだ。

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