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医 龍(5) | |||||||
何故なら『医龍』は「バチスタ手術」をめぐるストーリーだったが、『医龍2』は「心臓移植」をめぐるストーリーへと発展しそうな雰囲気があるからである。朝田はNGOから離れアメリカで心臓移植を手がけていたという前提になっている。そして新生明真のリスクマネージメント部長の野口は明真を日本で7番目の心臓移植認定施設にしようと画策している。2007年7月現在の心臓移植認定施設は東北大学病院 、東京大学病院 、東京女子医科大学病院 、国立循環器病センター、大阪大学医学部附属病院、九州大学病院の6箇所。 | |||||||
また北洋のオーナー片岡は明真が心臓移植認定施設になることを前提に、明真を受け皿にした富裕者層に特化した人間ドックにしようとしている。第6話で片岡はそのために、設置費を含め1機10億のPETCTを4台も購入する打ち合わせを始めている。明真でもチーム鬼頭が立ち上がり生体肝移植などの臓器移植が積極的に行われ、鬼頭の提案で心臓移植のための倫理委員会の設立に動き始めている。 世界初の心臓移植は今から40年前の1967年、南アフリカのケープタウンで行われた。執刀医はクリスチャン・バーナードで、白人男性の患者に黒人女性の心臓を移植したものである。いかにもアパルトヘイトの国らしく、ドナーの黒人女性の生死が明確にされていないという批判がある。日本では札幌医科大学の和田寿郎教授の執刀で1968年に始めての心臓移植が行われているが、この手術も和田心臓移植事件として後に大きな物議をかもすことになった。 当時は生体の拒絶反応という厚い壁に阻まれ、その成績は満足すべきものではなかったが、1980年代に新しい免疫抑制薬としてシクロスポリンが心臓移植に導入され、その成績は著しく向上することになる。その結果、心臓移植の件数は年々増加し、世界の統計では年間4000例ほどの心臓移植が行われるようになっている。現在の心臓移植における1年生存率は80%、5年生存率は70%以上になっており、移植を受けた患者の70%以上が社会復帰を果たすまでになっているようである。 日本では和田心臓移植事件の影響や「脳死問題」で臓器移植法の制定が遅れた(制定1997年)こともあり、2度目の心臓移植は1999年である。世界規模で4000例を超えている心臓移植ではあるが、日本では年間数例しか実施されていないのが実状である。 |
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『医龍2』の第7話では松平幸太郎の過去が明らかになった。私の推測は外れてしまったが、西南大学病院での論文データの改竄により教授の逆鱗に触れた松平は、その後「敗戦処理」と称する助かる見込みのない患者の手術ばかりを押付けられ、西南大学で飼い殺しにされていたというのである。松平は助かる見込みの無い患者のオペをこなすうちにメスが握れなくなっていたのだった。その結果、医療ミスという名目で大学を追われることになったのである。 | |||||||
助かる見込みのない患者のオペが大学病院でどれ程実施されるものなのかは分からない。ただ、助かる見込みのない患者に実験的な医療が試されるケースは充分に考えられる。勿論、患者や家族の了承の下にではあるが…大学病院というところは臨床の場であると同時に研究の場でもあるからである。しかし医者に限らず、目の前で人の死を見続けることの辛さは想像に難くない。医療とは死と向き合うことであるから、医者が人の死に接する機会は一般人より遥かに多いことは間違いがない。松平が後に実感しているように医者は神様ではないのである。患者の死に耐え切れず医者を辞めたり、基礎医学の分野に進む医者もいると聞く。あの養老猛氏もあるエッセーの中でインターン時代に患者を死なせた経験があり、そのために解剖学という基礎医学の分野に進むことを決めたと書いているほどである。 |
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ラストシーンで松平が「俺は並みの医者であることを認めるのが怖かった」と自壊しているし、『Dr.コトー診療室2006』でも鳴海医師がコトーに向かって「医者が人である以上オペに絶対はない」と言っている。医者として患者の死と向き合った経験があればそう考えるのは当然だろう。あの朝田でさえ設備やスタッフが充分ではないNGO時代に救えなかった患者が数多くいたはずである。だからこそ、朝田は患者の命を救うためにチームを重要視しているのである。緒方美羽の無輸血でのベンタール手術でも善田院長のバーディバー血液の確保と伊集院のバイクでの搬送がなければ患者は人工心肺から離脱できずに死亡していた。今回の高見紀枝のオペにしても同様だろう。 |
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食道癌による下行大動脈穿孔から大量吐血した高見紀枝は緊急オペとなった。下行大動脈とは心臓の弓部大動脈から下方にカーブした動脈の部位を指す。この血管に食道癌の圧迫で穴が開いてしまったのである。下行大動脈のリペアは心臓外科の朝田で可能であるが、食道癌の切除には消化器外科の松平の執刀が不可欠になる。しかし、松平はオペ室には現れない。 |
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手術室では既に下行大動脈の切除は終わっていた。「術野は確保できている」という朝田の言葉を受け患者の前に立つ松平。手は震えてはいなかった。手際よく食道癌の切除を終え、朝田にバトンを渡す。朝田は下行大動脈のバイパス手術を終え、再び食道の再建のため松平にバトンタッチ。そこで松平の手が止まる。肝臓の表面に腫瘍性の病巣を発見したのだ。癌の肝転移ならステージ4で助かる見込みはないと言う周囲を他所に、松平は重複癌だという診断を下す。 |
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そして奇跡は起こった。手術は無事に成功し、病理の結果も松平の診立て通り重複癌であった。チーム北洋にまた新たなメンバーが加わることになった。それもおそらく相当に重要なメンバーが…これまでの『医龍』では心破裂やバチスタやベンタール、弓部大動脈置換、大動脈弁置換といった心臓疾患に関わる症例ばかりが取り扱われてきた。朝田がERにいたときには肝破裂や銃創のオペなどもあるにはあったが、癌の手術というシーンは一度も取上げられていない。これは現代の医療ドラマとしては極めて異例なことと言わなければならない。今、世界中で注目されているのは最早心臓移植ではなく癌治療なのだから。そういう意味で消化器の癌治療ができる松平という医師の存在は非常に大きな意味を持つのではないかと推測している。 |
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第7話で松平が朝田に言った「俺は平凡な医者だ。だが、そんな医者でも出来ることがある。仲間がいればな。何かあったら呼べ。今度は俺が駆けつけるから」という言葉には含みがあるような気がしてならない。それにしても荒瀬が入るとチームが締まる。『医龍2』になってから荒瀬の活躍のシーンが少なくなっているが、パパになった荒瀬の今後の活躍にも期待している。 |
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