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医 龍(7)

 一方で伊集院は外山との手技の差を見せ付けられて苦悶していた。自分には外科医としての才能がないのかもしれないと悩み始めているのだ。朝田にも霧島にも一目起き、一生彼等には敵わないと自認していた伊集院も年の近い外山となると話は別のようだ。酒を断ち新たにチーム加わった松平のアドバイスも聞こうとはしない。その彼を朝田は智樹のオペの第一助手に指名する。
 そんな中智樹の冠動脈瘤の除去とバイパス手術が始まった。オペはのっけから麻酔医の不手際が目立っていた。案の定血圧のコントロールが出来ずに、動脈瘤を破裂させてしまう。大出血の中冠動脈のリペアを開始するが、自信を喪失している伊集院がさらにその足を引っ張る。見学室のガラスに張り付くようにしてオペに見入っていた小高がたまらずに動く。
 「オペに入るわ」と言ってオペ室に入ろうとする小高を「あの子はお前を憎んでいるんだ」と黒田が腕を掴んで制止しようとする。しかし小高は「憎んでいい。憎めるのは生きているからよ。あの子が生きていれば、生きてさえいれば、私はいくら憎まれてもかまわない。智樹は私が救う。邪魔はさせないから」と言い捨てて、小高はオペ室に入って行く。
 オペ室に入った小高は「必ず私が助けるから」と呟き的確な処置を始める。荒瀬が初めてオペに入った時のような高揚感はなかったが、緊張した雰囲気の中で新たなチームが機能し始めた。そしてオペは無事に終わった。
 藤吉と共に術後の経過を報告し、病室を出ようとする朝田に黒田は深々と頭を下げ礼を言う。朝田は静かに振り返り「このオペは小高がいなければ成功しませんでした。小高のお陰です」と黒田に告げる。黒田という男はかつての自分の妻であった小高の医者としての技量を知らないはずはない。喘息の重咳発作で搬送された病院の麻酔医がせめて小高の半分の腕があれば智樹は片半身麻痺になることはなかったはずである。それを知っていながら小高をオペから外そうとした。憎しみや恨みという強い感情は弁護士という理知的な頭脳をもってしても判断を狂わせるようだ。

 しかし、自分の過ちに気づいた黒田は「お前にオペに入るなとは言ったが、病室に入るなとは言っていない」と小高に智樹との面会を許す。「ありがとう」と言い残して駆け出して行く小高。ここまで小高は女としての顔と医者としての顔は見せていたが、ここに到って小高は初めて母としての表情を見せる。智樹の病室に入り医者の顔を見せようとするができない。「退院のための問診を行います」と言ったものの表情はすっかり母の顔である。智樹にチョコを差し出されて涙する小高。小高が口に入れたチョコこそ彼女が長い間待ち望んでいた智樹の許しであった。
 私たちが医者と接するとき医者としての顔しか見ることができない。しかし、医者もひとりの人間(男女)であり、父や母でもある。それぞれの顔を持っていて当然であろう。外山の父親のように大学でも家庭でも教授という顔を崩さない医者もいるが、今では例外に近い存在に違いない。小高は子供との約束を守れなかったことで母としての自分を捨てようとした。そして、自分の息子を救うことができなかったことで医者としての自分も捨てていた。彼女に残されていたのは女としての顔だけだったのだ。母としての自分と医者としての自分を心の闇の中に封じ込めて生きて来たのである。
 緒方美和の無輸血ベンタール手術の際に、片岡が小高に言った「まだ17歳よ。親の前で見殺しにしてもいいの?」言葉はやはり小高の母性に向けて発せられたものだった。小高七海という麻酔医は荒瀬のように医者としての顔にどう呼びかけても心を動かすことはない。しかし、母親としての顔に呼びかけると反応を見せる。これが女性というものかもしれない。
 その一方で、善田院長が動いていた。第7話で「野口!」と呼び捨てにし、「俺が明真を潰す!!」とまで言い切った善田はイーグルパートナーズ社で片岡を待ち受け、経営支援してくれるという病院も出てきたので北洋は潰せないと片岡に告げる。明真はすでにサイトビジットの日程も決まっていると言って取り合おうとしない片岡に、「明真(メディカルシティ)が完成に近づけば外されるのはあなたですよ」と言い、善田は野口が既に業界最大手のゴールドバーグ・ブラザーズとの既にコンタクトを取っていることを明かす。「野口はそういう男です。昔も今も…」と片岡に告げる。「昔も?」と不審気に問いかえす片岡に「野口は周りのあらゆる善意を利用して、たったひとり登りつめてゆく。その結果犠牲になるのは患者さんなんです」と語る。野口が求めているものは心臓移植認定施設というブランドだけなのだから、施設認定が済めば捨てられるのはあなただと言い、片岡に北洋とパートナーになることを迫る。
 サイトビジットのスケジュールが決まった明真では、鬼頭笙子が認定後の移植の打ち合わせを野口に求めるが、野口にはそんなことは眼中にない。「私は認可のために来たんじゃない。世界最高峰の医療実現のために来たの」と野口の態度に業を煮やした鬼頭は移植資料を野口に押し付ける。ここでも患者のことなど眼中にない野口と10年後の1万人を救うという鬼頭の思惑との齟齬が生じ始めている。そんな野口が突然心臓発作で倒れるのである。
 小高がチームに加わることを決意したことを受けて朝田は「お前の力が必要だ。みんなを集めろ」と次げる。朝田の手にはCTの写真があった。誰のCTなのか?野口が倒れたのはその後のシーンなので野口のものではない。朝田自身のものではないかという想いも浮んだが、予告によるとどうやら朝田が以前バチスタ手術を施した患者らしい。バチスタ手術は心臓移植が難しい日本では歓迎される向きもあるが、遠隔心不全回避率が術後3年で25%と非常に悪く根治が難しいため、心臓移植が日常のように行われているアメリカではほとんど行われていないというのが実状のようである。
 『医龍』の最終話で朝田が行った「オーバーラッピング法」は正式には左室縮小術(Overlapping cardiac volume reduction operation)といい、バチスタ手術の応用として現在世界的に注目をされているが、執刀数の少なさ、心臓外科医に要求される技術の高さ、また、ガイドラインが不確定なことが問題視されているため、アメリカでは数年前から禁止術式とされている。
 バチスタ手術を受けた患者が3年以内に再び心不全を起こす確率は75%と非常に高いのである。第9話に登場する患者もそんな中のひとりだろう。こうなっては残る手段は心臓移植しかない。健康保険が適用されない心臓移植には1千万から3千万円という高額な医療費が必要なのだ。処置を問う片岡に藤吉は、わずかな望みに賭けるのが親で、移植の可能性がないからと放り出すわけにはいかないと答えるようだが、朝田たちチームはこの難局をどう乗り切るのだろうか?
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 明真で倒れた野口はどうやら北洋に救いを求めに来るようだ。心臓移植関連学会協議会による重要なサイトビジットを目前にした野口は、施設管理者としてどうしても病気を隠したいのであろう。当然、明真での治療はできない。ここでも朝田たちチームは野口を救わなければならない羽目に陥ることになりそうだ。野口の性格からして命を救われたとしても、それを恩に感じることはしなはずだ。またまた人の善意だけを利用するに違いない。
 『医龍』で中心のテーマとなった「バチスタ手術」は、先にも記したように「遠隔心不全回避率が術後3年で25%」とされ、根治に至らないというのが世界の共通理解となっている。脳死問題や高額医療費などで心臓移植が難しい日本では、外科医の腕に頼った「左室縮小術」が行われているのが実状である。しかし、一般的に言うとバチスタ手術は延命措置に過ぎないのである。高齢者であと五年程度延命を希望する患者ならともかく、幼児や子供にバチスタ手術を行っても、第9話に登場する患者のように、心不全を再発してしまうケースが圧倒的に大いに違いない。そうした患者には心臓移植しか助かる道は残されていないのである。
 しかし、日本では現代に到っても年にわずか数例の心臓移植しか行われていないのが実状である。日本国内でのこれまでの心臓移植の実施総数はわずか49例に過ぎない。医療技術が海外に比べて劣っている訳では決してないのにである。お金のある人々は海外へ提供者を求めて出かけてゆく。日本人はそれを当然のことのように思っている。場合によっては1億円以上ともいわれる海外での心臓移植費用の多くは臓器売買にからむ費用となる。経済大国日本は戦争が終わっても金で人の命を買おうとしているのである。満州事変から太平洋戦争にかけて日本が満州や東南アジアを侵略し、傍若無人に振舞っていたことを思い出さずにはいられない。そしてそれを恥じる気持ちはさらさらないように見える。臓器移植の裏側で臓器を売買する組織や人々が存在することを知りながらである。日本人にとっては人の命も鉱物資源と同様に金で買えると信じたいのであろう。これこそまさにアメリカ型物量資本主義の帰結であろう。
 第9話では北洋に2年前朝田にバチスタ手術を施された9歳の患者雄太の母音部美和が来る。朝田が持っていたCT写真は雄太のものであった。様態を確認した朝田は「1年前より様態が悪くなっている」と説明し、このままだと「もって2ヶ月」だと朝田は苦しそうに答える。残された道は心臓移植しかないが、日本では15歳未満の臓器提供は認められていないと藤吉が母親に説明をせざるを得ないのである。
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 一方明真で倒れた野口は木原に発見され、ニトロ吸引で何とか起き上がることはできたが、鬼頭を呼ぼうとする木原を懸命に制するのである。5日後にサイトビジットを控え野口も必死である。「自分を助けられる医者はひとりしかいない」といい、野口は北洋に向かう。「自分のしてきたことは分かっている。そのことを認めるのが怖かった。死にたくない。助けてください」と善田院長に泣きながら土下座までするのである。
 善田院長と野口は同じ大学の同期であり、かつては医局で薄いコーヒーをすすりながら日本の心臓外科の未来を熱く語りあった仲だった。ところが善田の医者としての腕の差をまざまざと見せ付けられた野口は医者であることを辞めてしまう。それ以後は野心をだけをむき出しに政治力を駆使して教授に取り入り出世ばかりを目指すようになってしまったのだと善田は語るのである。
 善田院長と野口は同じ大学の同期であり、かつては当直室で薄いコーヒーをすすりながら日本の心臓外科の未来を熱く語りあった仲だった。ところが善田の医者としての腕の差をまざまざと見せ付けられた野口は「自分は医者であることを捨て」てしまう。それ以後彼は「技術を磨くことを諦め、権謀術数を労して権力を掴む道を選んだ」のだと善田は朝田に語るのである。

 雄太のカンファレンスにも参加せず、黙々と手術の練習をしていた伊集院に「何あせってんだよ」と松平が声をかける。外山との腕の差にすっかり自信を失っていた伊集院に「お前は並みだな。頑張って並みの上ってとこかな」と言うのである。「だからいいんじゃないの?自分の限界を知ってる。だから逆に自分にできることができるんじゃないの」「普通の人のその仕事は天才の仕事にひけを。とらない平凡だけど、じぶんだけのスペシャルな仕事だ。自分に誠実であることはお前にしかできない」と伊集院を励ます。そして「お前はそれをやっている」と告げるのである。
 伊集院はかつて自分が並みの医者であることを自覚していたはずである。並みの研修医から朝田に育てられここまで来たのである。嘗て加藤晶が評価したように「性格的に細かな仕事に向いている」医者なのである。ところがバチスタ手術などを経験する間に本来の自分を見失ってしまっていた。特に年齢が近い外山の手技を見せ付けられてからは…並みの医者ではあるけれど、医者としての役割は充分に果たしているのだから「胸を張れ」と励ます。しかし、伊集院は悔し涙を流していた。
 「並みの医者でもできることはある」と第7話で朝田に語った松平は、並みの医者であることの苦しみと役割を身をもって実感している。それがそのまま伊集院に向かって語れるのである。それを朝田は黙って見守る。そこに善田院長も表れ「いい仲間です」と朝田に語る。善田の脳裡には自分にもそうした思いやりの気持ちがあれば野口を救うことができたかもしれないという悔恨の情が浮んでいたはずである。「私にも昔友がいた。あの時もう少し親身に声をかけていれば、彼も違った人間になっていたかもしれない」と善田は呟く。友とは野口のことである。

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 翌日、善田院長はチームを集めて野口が北洋での治療を希望していることを告げる。外山は大反対だし、小高も「勝手にすれば」と冷たい発言をする。野口の性格と彼等にしてきたことを思えば当然の反応である。どうするのと問うオーナーの片岡に朝田は「目の前に患者がいたら手を差し伸べる。それが医者だ」と野口の治療を受け入れることを告げる。どうやら片岡には医者の父親がいたのかもしれない。ビーズのテディベアーが父親と何か深い関わりがありそうだ。
 片岡は明真を訪れ、野口に条件を提示する。イーグルパートナーズとの業務提携かと思っていたら、雄太の明真への転院と心臓移植であり、その手術を朝田のチームが行うことだった。第9話の冒頭で「自分の家族が重病になって移植ができないからといって、放り出すのか?」という藤吉の言葉が片岡の良心を動かしたのかもしれない。
 かくして野口の治療が決まるが、野口は「不安定心筋症」でカテーテル手術もできない状況であった。オペ適用だが、サイトビジットまで3日しか残されていない。通常のオペでは到底サイトビジットには間に合わない。「サイトビジットを成功させなければ死んだも同然」と言い切る野口に、朝田はLADのロングリージョンによる冠動脈バイパス手術をなんとミッドキャブで行うことを宣言する。
 ここで野口の不安定狭心症について述べてみたい。心筋症(angina pectoris)とは心臓の筋肉(心筋)に酸素を供給している冠動脈の異常による一過性の心筋虚血のために胸痛・胸部圧迫感などの主症状を起こす虚血性心疾患の一つである。完全に冠動脈が閉塞、または著しい狭窄が起こり、心筋が壊死してしまった場合には心筋梗塞という。そして症状のパターンが変化する症例が不安定心筋症なのである。軽度の場合はカテーテルで冠動脈の狭窄を拡張することも可能だが、石灰化が進むと開胸してバイパス手術が必要になる。
 LADとは心臓の左冠動脈の左前下行枝(left anterior descending artery)のことを言う。冠動脈は右冠動脈(Right coronary artery)と左冠動脈(Left coronary artery)の二本に大別され、さらに左冠動脈には、左前下行枝と左回旋枝(left circumflex artery)に枝分かれしている。中でも前下行枝は、3本の冠動脈の中で一番支配領域が広いことから、冠動脈が詰まって生じる心筋梗塞は広範囲になりやすく、血管の根本に近いほど広範囲になり、危険性が高まる。
 ミッドキャブとは低侵襲冠動脈バイパス手術(MID-CAB:Minimally Invasive Direct Coronary Artery Bypass)のことで、人工心肺を用いずに冠動脈バイパスをする術式を言う。人工心肺法に関しては、概ね安全になったとはいえ、術後の脳障害や臓器不全などとの関連が指摘されており、これを使わないのは「低侵襲」として理にかなっていると考えられ、「低侵襲」を追求する姿勢に移行し、次にMIDCAB(ミッドキャブ)という術式が登場したという経緯がある。胸骨を切らないで左の胸に5cm程度の切開を加え、そこから心臓の一部を視野におき、心臓を動かしたままでバイパスを行うという手技。この術式は高度な技術を要するが、予定通りできれば、患者に対する侵襲はきわめて軽度で済むことになる。
 しかし、この術式は技術的な問題と、それに加えてバイパスできる血管が1本に限られる(2本以上も可能だが、さらに難しい)という点が足枷となり、あまり普及はていません。結局、胸骨を縦に切るという従来のアプローチは変えずに、人工心肺は使用しないで、多枝バイパス、つまり何本もバイパスを行うという方法OPCAB(off-pump CABG通称:オフポンプ冠動脈バイパス術)が現在定着している。
 心臓は1日10万回、3年で1億回、休みなく拍動している。人間の生命を維持するためには、本来心臓は一時も休む(拍動を止める)ことを許されない臓器である。しかし、心臓を手術する時は、当然心臓を一時的に止めなくてはならない。この間(通常2-3時間、長くても5-6時間)、心臓と肺の本来の機能は人工心肺(別名:体外循環)という人工臓器によって代行運転されているのです。すなわち、具体的には心臓の右心房に太い管(カニューレ)を入れて、心臓に入ってくる静脈血を全て抜き取ります。それを一度リサバーと呼ばれる容器に入れ、そこから人工心臓(遠心ポンプ)で血液をくみ出し、人工肺に入れて酸素加し、動脈血として大動脈にカニューレを通して戻す、という仕組みで人工心肺は運転される。バチスタやベンタールなどの大掛かりで時間のかかるオペの場合は人工心肺装置を利用するのが一般的だ。緊急性の高いオペの場合は装着の簡単なPCPS(経皮的人工心肺装置)で代用することもある。
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