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医 龍(8)

 ところがいざ開胸すると冠動脈の石灰化が予想以上に進んでいて通常のバイパス手術はできない状況だった。胸中切開を示唆する伊集院に対し、朝田は患者のQOLを考慮して「冠動脈を切り開いて、内膜を丸ごと摘出し、内胸動脈動脈を用いて新たに冠動脈を形成する」と宣言。QOL(Quality of Life)とは「生活の質」などと訳され、様々な意味合いを包含する概念であるが、概ね「人が充実感や満足感を持って日常生活を送ることができること」を意味する。朝田のこの言葉の意味を理化したチームは一丸となって動き始める。視野の確保を命じられた外山に代わって伊集院が視野の確保は自分がやりますと申し出る。松平のアドバイスを素直に受け入れ自分にできることを精一杯やろうとする伊集院。そしてオペは無事に終了する。見学室にいた松平は小さく拍手をしていた。そして「胸を張れ。伊集院」と呟くのである。決して派手ではないが感動的なシーンだった。本当にいいチームになったと実感した。

 野口は無事退院し、サイトビジットに望み、明真は正式に心臓移植実施施設として認可されることになる。しかし、野口は「喉元過ぎれば暑さ忘れる」と言い、四千億円の融資をゴールドマンズ・ブラザーズから受けることを決め、「片岡さんとはきれいさっぱり手を切った」と木原に告げる。朝田たちのチームも心臓移植が成功すれば明真に残すという約束で、9歳の子供の心臓移植など不可能だ。患者は移植前に死ぬとまで言い切るのである。予想していた通りの反応とはいえ、パートナーから外された片岡が黙っている訳はない。明真という受け皿を失くした北洋はどうなるのだろうか?片岡の富裕者層向けの人間ドック構想は破綻したことになる。
 の一方で片岡は朝田たちに明真に移るよう指示をしていた。片岡が明真を潰すと考えていると藤吉は反論するが、明真との業務提携が成立しなければ、片岡の構想も成立しないのである。片岡には北洋を潰す気持ちがなくなっているように思われる。「選択の余地はない。雄太君の残り時間は少ないの」という言葉に嘘も策略も感じられないのである。おそらく片岡の父親は理想的な医者であったに違いない。患者の為に命を賭して働き、そして亡くなった。そうした父親の姿を見て育った片岡は、理想を追い求める医者を憎むようになっていたのではなかろうか?野口たちのチームとその仕事振りを見ているうちに、片岡の中に父の言葉が甦ってきたようである。
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 「霧島の下では患者のためにバチスタが切られることはない」といった朝田の台詞が『医龍』にあったが、『医龍2』でも「明真では患者のために心臓移植が行われることはない」という言葉が善田院長の口から出ている。鬼頭は認定後の最初の心臓移植患者として、ジャパンキャピタルの山野会長を選び、明真に転院させる。鬼頭としては明真の実績を大々的にアピールする手段として患者を選んだのだが、朝田たちに任された雄太という9歳の少年の心臓移植はどうなるのだろう?最後の2話ではそこが焦点になるだろう。
 心臓移植手術が最も多く行われているアメリカでは、ボランティア活動などにより心臓移植のための基金が設けられていると聞く。日本は海外で高い臓器を買うことのできる経済大国なのだから、こうした基金の設立は難しいことではないはずである。実際に寄付を募って海外で心臓移植を受けた子供の症例も少なくない。
 また、平成18年4月1日から、腎臓移植と同じように健康保険が適用されるようになり、高度先進医療の認可の際には、適応となる疾患が拡張型心筋症と拡張相肥大型心筋症に限られていましたが、保険適応については、日本循環器学会の心臓移植適応検討小委員会の認定をもらっていれば、心筋症、虚血性心疾患、弁膜症、先天性心疾患、再移植を問わず、保険適応となった。従って、心臓移植にかかる費用、術直後に集中治療部で受ける治療費、退院までの治療費全てが保険で支払われることになる。さらに、患者が18歳以上の場合に は身体障害者福祉法による更正医療、18歳未満の場合には児童福祉法による育成医 療の対象となり、医療費の自己負担分は公費により賄われるとのことです。
 根の深い問題は臓器移植法と15歳未満の臓器提供は認めないというドナーの年齢制限にある。過去10年間の間に日本で実際に心臓移植を受けた患者数は40数人しかいないのが実状である。兎に角日本ではドナー数が圧倒的に少ないのである。アメリカでは年間2000件を越す移植が行われている。今の日本の臓器移植法では幼児や子供の心臓移植はほぼ不可能な状況である。ただでさえ少子化の進む日本では子供の命を救うことを第一義に考えなければならないはずである。子供を大切にしない国に明るい未来はない。
 養老猛も書いているが人の生死に国が関与するのは問題があると私も思う。養老氏が述べておられるように人の生死は患者と家族と医師の判断にまかせるべきではないかと思う。また、脳死の判定は速やかに行われなければ意味がない。医療技術の進歩により人工的に脳以外の臓器を動かし続けることはある程度可能になっているが、臓器が動いていることがむしろ家族に死を受け入れ難いものにしてしまう。脳死どころか植物人間になっても自分は死を選ぶと養老氏も書いておられるが、まさに同感である。
 国が厳格なルールを決めてしまうから、患者も家族も医者も二の足を踏む。まして15歳未満の臓器提供を禁じるなどナンセンスでさえある。何故なら子供の方がずっと長生きし、社会への貢献も大きなものになる可能性が高いからであり、その子供たちが未来の支えになるからである。10歳の命と65歳の命を計りにかけることはできないが、65歳の命が救われるのなら当然10歳の命も救われなければならないはずである。子供の心臓移植は海外でというのが当たり前のようになっている日本の医療界に朝田たちのチームがどんな奇跡を見せてくれるのかが大いに楽しみである。
 朝田・藤吉・伊集院・松平・外山・小高のチーム北洋の6人が明真に戻り、チーム鬼頭のミキと荒瀬が朝田たちのグループに加わった。ミキと荒瀬がチームを離れることを懸念しているチームの医師に鬼頭は「私が闘う相手は朝田じゃない」と釘を刺す。
 明真のチーム鬼頭は心臓移植施設認定後の最初の患者として、ジャパンキャピタル会長の山野を選択していた。会長というからにはかなりの高齢者かと推測していたが、どうやらベンチャー・キャピタルの会長のようで、年齢はかなり若そうだった。山野はニーハ分類W度の心疾患で症状や社会的地位からいっても、臓器提供の優先順位は高いと鬼頭は判断し、滅密なカンファレンスを行っていた。心臓移植では尊増を提供する人をドナー、心臓移植を受ける人、つまりドナーから心臓の提供を受ける人をレシピエントといいます。
 『医龍』でよく使われている「ニーハ分類」について簡単に説明しておこう。慢性心不全の重傷度の分類には、おおまかな心機能障害の程度を問診により簡便かつ短時間に知ることができるという点で、ニューヨーク心臓協会(NewYork Heart Association)によるNYHA(ニーハ)分類が用いられるのが一般的です。ニーハ分類はT〜W度に分類され、NYHA T度:心疾患はあるが、通常の身体活動では症状なし。NYHA U度:普通の身体活動で、疲労・呼吸困難などが出現し、通常の身体活動がある程度制限される。NYHA V度:普通以下の身体活動で愁訴出現し、通常の身体活動が高度に制限される。NYHA W度:安静時にも呼吸困難を示す。『医龍』でも「バチスタ手術は通常ニーハ分類V度以上の患者に適用される」と藤吉が語っている。
 一方朝田たちのチームは拡張型心筋症の音部雄太を抱えていた。雄太は既に2年前朝田にバチスタ手術を受けている患者である。しかも9歳という年齢を考えれば臓器移植の提供順位はかなり低いと考えなければならない。おまけに鬱血感がひどく肝機能の低下も心配される状態だ。朝田たちはカンファレンスを開くが全員の顔は曇りがちに見えた。15歳未満の臓器移植を制限している日本の臓器移植法下では、国内での心臓移植はそれほど難しいのが現状なのだ。世界の心臓移植数の一覧を参照して下さい!!
 『医龍』でも医療スタッフを勤められた葉山ハートセンター院長の須磨久善氏は「鬱血とは、身体の血液の流れがとても悪くなり、あちこちに血液や水分が滞ることですが、これには三つの原因が考えられます。ひとつは、身体に血液を送り出す、心臓(ポンプ)が十分に機能しないこと。もうひとつの原因は、心臓の機能不全に反応して、体中の隅々にある末梢血管が収縮して血が通りにくくなること。三つ目が、最後の段階で血液を活用するはずの細胞の代謝が低化してしまうことです。この三つが絡み合って鬱血状態が起こります。(中略)では、医者はどのように鬱血を治すのでしょうか。原因が三つあるのですから、治療の方法も当然3通りあります。1つは心臓のポンプ機能を高めること。2つに血管の緊張をほぐして、血を通りやすくすること。三つ目は細胞の代謝が活発になるように元気づけるということです」(月刊「世相」NO,236)と述べておられますが、一度バチスタ手術を受け心臓の癒着が進行している雄太の場合は血管拡張剤で血流を少しでも良くするしか方法はないのです。
 クリスマスプレゼントに何が欲しいと聞くミキに対し、雄太は「水」と答えた。拡張型心筋症で心臓が肥大している患者は水を飲むことも制限されているらしい。人には誰しも幸・不幸はあるものだが、外山の言うようにこうした患者を見ていると「神も仏もない」と感じてしまう。人の病とはまさにそうしたものである。臓器のひとつが悪くなれば連鎖を起こし他の臓器にも影響が出る。そのためにひとりの人間が多くの病を一度に抱えてしまうことになるのだ。不幸というよりむしろ悲劇と言うべきかもしれない。だからこそ、健康な人間はそうした人たちの分まで懸命に生きなければならない。にもかかわらず子供たちまでが簡単に自殺してしまう時代になってしまった。心の病が原因である。
 雄太は母親に「お母さん。僕必要?僕いるのかな?」と問いかけるシーンが印象的であった。「心の病」はX線やCTに患部を映し出すことはできないが、親や教師が子供をしっかり見つめてさえいれば必ず発見できる病でもある。この音部親子や『医龍』で「1%の可能性があるなら手術して下さい」と懸命に朝田たちに頭を下げていた隆の母親を姿を忘れないで欲しい。
 子供が重篤な病気にかかるまで子供の大切さを理解できない親が多くなっているのではなかろうか?昔は大家族であっても子供は大切に守られていた。父母が忙しければ祖父母や兄弟が子供たちの世話をしっかりとしていた。核家族化が進み、少子化で子供がひとりの家庭が増えているにもかかわらず、たったひとりの我が子の「心の病」を見抜けない親が存在すること自体が信じられないのである。学校の教師も同様である。昔は50人学級が普通であったが、今はせいぜいが30人前後の生徒しかいないはずである。
 こうした環境で何故子供たちの「心の病」が見過ごされるのか、私には理解ができない。私は子どもがいかに反発しようと親や教師はもっと子供に干渉すべきだと思っている。口論になってもいいではないか?不満や不安を心の内に秘めているよりもずっといいはずである。
 子供を宝物のように大切に育てていると感じている親は少なくないに違いない。しかし、それは子供を宝石のように人に見せびらかし、自慢したいための道具に利用しているだけではないと言い切れるだろうか?ダイヤモンドに傷をつけることは難しいが、発達途上の子供の心は簡単に傷ついてしまうものだ。
 だからといって腫れ物に触れるように接しろというつもりはない。取っ組み合いの喧嘩をしてもいいではないか?そうすることでしか解決しない問題もあるに違いない。撲られたことのない子供は撲られることの痛みを知らずに育ち、平気で人を傷つけるようになる。だから一度でも病気をし、痛みや苦しみを知った人間は強くそして優しくもなれるのである。
 話を戻そう。山野会長のドナーが見つかったと移植ネットワークから連絡が入る。ドナーは新潟にいた。浅田から心臓移植の勉強のためにチーム鬼頭に入ることを進められた伊集院が心臓を取りに向かう。心臓摘出後の許容時間は4時間。伊集院から心臓を受け取ったという連絡を受けた鬼頭は早速移植手術の準備に取り掛かる。しかし、患者は輸血のアレルギーで血圧が急激に下がり、鬼頭は移植を断念せざるを得なくなる。
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 その一方で雄太は肝機能の低下から肝硬変を起こしていた。朝田は母親からの生体肝移植で雄太の心臓移植までの時間をなんとか稼ごうとする。消化器外科医の松平も「ドナーが見つかるまで、雄太君の肝臓は俺が持たせる」と断言してオペに望む。小高は母親の肝臓摘出のオペに加わり、荒瀬は雄太のオペの麻酔を担当する。母親の胎内から肝臓が摘出された時、木原が見学室に駆け込んでくる。山野の心臓移植が中止になったことで、摘出された心臓が雄太に回って来たというのだ。他の臓器に異常がある場合には心臓移植はできない。特に腎臓または肝機能障害があると、免疫抑制剤であるシクロスポリン、イムランなどの使用によって悪化することがあるため、障害が強い時にはその回復を待ってから心臓移植を行うのが一般的だ。また心臓移植を行ってもこれらの機能の回復が見込まれないときには心臓移植はできないことになっているのだ。「医師の資格を失うぞ!」という外山の言葉に「患者の命が救えるなら」と朝田は生体肝移植と心臓移植の同時オペを決断する。

 『医龍』でも看護士のミキにグラフト採取をさせたことで明真の倫理委員会で処分されそうになるという経緯があった。その時は加藤晶の機転で事なきを得たが、生体肝移植と心臓移植の同時オペはどういう結末を迎えることになるのだろう。予告編では鬼頭がメスを握っているシーンがあった。「私が闘う相手は朝田じゃない」と言っていた鬼頭。「俺たちの敵は鬼頭じゃない。患者の病気を治すことだ」と伊集院に語っていた朝田。『医龍』でも鬼頭が浅田を助手として支えるシーンが何度かあったが、この二人には「患者の病気を治すこと」が使命としてあるようだ。『医龍2』の前半では憎まれ役を演じていた片岡も雄太の病状と心臓移植が気にかかるようで、度々明真を訪れるようになっていた。もしかすると片岡の父親も心臓病で亡くなっているのではないかと思わせる。「信念を持っている医者は嫌いだ。だから浅田には潰れてもらいます」と口にしていた片岡だが、彼女の父親こそがまさに「信念を持った医者」だったのかもしれない。その父親を失って「信念を持った医者」を嫌い、医療をビジネスライクに考えようとしてのではないか。富裕層に特化した人間ドック構想も、そうした施設があれば父親も救えたという想いから出たものかもしれない。
 明真の屋上で小高がビーズのテディベアを片岡に渡す前に、「女の嘘は分かるのよね」と言った言葉の意味を考えると、片岡の関心は心臓移植にあることは間違いがない。片岡の父親も心臓移植が可能なら助かったのかもしれない。片岡が野口と手を組んでも明真の心臓移植施設の認定に拘ったのはそのためかもしれないのだ。
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