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医 龍(9)

 『医龍2』のクライマックスは生体肝移植と心臓移植の同時オペになりそうだ。しかし、木原の言うように野口が明真でのそんなオペに同意するはずがない。日本では過去に心臓と肺の同時移植が行われたケースはあるが、生体肝移植と心臓移植の同時オペは始めてのケースになるはずだ。このオペの実施には野口の排除が必要になる。片岡が野口の説得を試みるようだが、既にゴールドマンズ・ブラザーズとの融資話が進んでいる状況では、野口が片岡の言葉に耳を傾けるとも思えない。「俺が明真を潰す!」と豪語した善田が動くのか?それとも片岡が恩田議員を動かすのか?

 その頃、心臓を空港まで運ぶ救急車がトラックの火災事故で足止めをくっていた。移植可能までの許容時間が3時間半を切っている。無輸血ベンタール手術の際にも伊集院はバーディーバーの血液を北洋に届けている。浅田は無輸血ベンタール手術の時と同様にチームの一員として伊集院を信頼し、心臓の到着を待つはずである。その間に松平の生体肝移植は成功する。無輸血ベンタール手術の時も弓部大動脈の置換術までは循環停止で無事に終わっているのである。問題は心臓移植になるのだろうが、大人の心臓を9歳の子供に移植するには無理がある。そこにはどんな作戦が待っているのだろう?それと浅田は本当に医者を辞めるつもりなのだろうか?
 余談になるが朝田龍太郎役の坂口憲二は元プロレスラーの坂口征二の次男だそうである。坂口征二といえばジャイアント馬場、アントニオ猪木に次ぐプロレス界の大スターだった。明大中野中学時代に父親の勧めでイヤイヤ始めた柔道も今は二段の腕前だという。それであの体格なのだと納得がいった。父親に比べると小柄だというが、父坂口征二の身長はなんと194cmである。それと『医龍』に登場する心臓などの臓器はゴム製の作り物だという。どのようにして動かしているのかは不明だが、最初は豚とか牛などの本物の臓器かと思っていたので、少しは安心した。これは週刊文春のインタビュー記事の受け売りである。
 ここで少し心臓移植について考えて見たい。心臓移植は、末期的な心臓病患者に対し、高度に障害された心臓を摘出し正常機能のドナー心臓を移植する手術で、心臓単独あるいは肺との同時移植が行われている。最初の心臓移植は1967年、南アフリカ共和国で行われ、その翌年には、早くも全世界で102例もの心臓移植が行われている。当時は生体の拒絶反応という厚い壁に阻まれ、その成績は満足すべきものではなかったが、1980年代に新しい免疫抑制薬としてシクロスポリンが心臓移植に導入され、その成績は著しく向上した。その結果、心臓移植の件数は年々増加し、世界の統計では年間4000例ほどの心臓移植が行われるようになっており、その半数以上がアメリカで行われている。現在の心臓移植における1年生存率は80%、5年生存率は70%以上になっており、移植を受けた患者さんの70%以上が社会復帰を果たしている。
 全身麻酔下で、まず胸の真ん中を喉仏の少し下から鳩尾(ミゾオチ)まで皮膚を切開し、胸骨も縦に切開して心臓が見えるようにする。人工心肺装置で全身の循環を維持しながらレシピエントの心臓を、心房の一部を残して取り除き、ドナーの心臓を、左心房、右心房、大動脈、肺動脈の順に吻合してゆく。最近では、心房ではなく、上・下大静脈を直接吻合する方法を用いる施設も多くなっているよ。外科医、麻酔科医、看護婦及び人工心肺運転士などで移植手術を行うが、間接的には多数の医療スタッフが携わることになり、手術は通常4〜5時間程度かかるようだ。まさにチーム・ドラゴンにぴったりな手術といえるだろう。

 鬼頭の患者である山野が輸血アレルギーで心臓移植が受けられなくなった。それによってドナーの心臓は雄太に回ってくる。朝田は日本初の心肝同時移植を迫られることとなった。最終和で摘出した肝臓をオペ室へ運ぶ途中、朝田と松平は廊下で鬼頭とすれ違う。その時、鬼頭は「やりなさい。あなたの患者に移植しなければ貴重な命がひとつ無駄になる。目の前の患者を救いなさい」と浅田に励ましの言葉をかける。これまで一貫して「目先のひとつの命より、10年後の1万人の命を救うのが私の使命」だといい続けてきた鬼頭がである。
 やり方の違いはあっても「命を救う」ことの大切さは鬼頭も充分に分かっていた。これまで何度も助手として朝田をフォローしてきたこともそれを裏づけている。しかし、ここで大切なことは鬼頭の言った「貴重な命がひとつ無駄になる」という言葉の意味の重さである。鬼頭の言った「貴重な命」とはレシピエントの雄太のことではない。間違いなくドナーの「命」のことを指している。「脳死」状態のドナーから摘出された心臓を「命」と言い切る鬼頭は「脳死」の意味を真に理解している数少ない医者であろう。
 「脳死」とは一般的にいわれる「心臓死」とは異なる人が定義した「死」の概念である。日本には「脳死」と「植物状態」の区別がつかない人が多いと聞く。そうした日本人が「総論賛成各論反対」の態度を取るのは、ある意味やむを得ないことなのかもしれない。「脳死」を人の死と認識はしていても、自分や家族のこととなると全く違った感情が芽生え始めるのである。日本で心臓移植のためのドナーが極めて少ないのはそのためである。
 イギリスのデータによると死者100人に対し「脳死」と判定されるのは1%だそうである。99%の「死」は「心臓死」、つまり心臓が停止することによる「死」のことである。心臓が停止すれば5分ほどで脳は死ぬ。酸素が脳に回らなくなるからである。しかし、逆の場合はどうだろう?1968年に「脳死と脳波に関する委員会」で定義された「脳死」とは「回復不能な脳機能の停止」であり「脳機能には、大脳半球のみでなく、脳幹の機能も含まれる」というものであった。
 脳機能を大雑把に説明すると、大脳は人間の高次な精神機能を営み、小脳は運動機能を受け持ち、脳幹は内蔵の働きや感覚器官の働きを管理し、人間の基本的な生命維持作用を担っているということができるだろう。「植物状態」とは大脳と小脳の損傷で、思考機能と身体の運動機能が停止した状態ではあるが、脳幹は機能を維持していて自己呼吸ができる状態を指す。それに対し「脳死」とは脳幹も機能を停止するため「人間の基本的な生命維持」ができない状態を指すのである。しかし、現在では医療機器の進歩により一定時間臓器の機能を維持することも可能になっているため「脳死」の判定をより難しくしている。一昔前なら脳幹の損傷ですぐに「心臓死」していた患者が人工的に心臓を動かされることで物理的に生かされることになるのである。
 「脳死」の問題は簡単なことではないが、大雑把に説明すると上記のようなことになる。「脳死」を人の「死」と認め、臓器移植が可能になれば、鬼頭の言うように「貴重な命」が第三者に引き継がれてゆくことになるのだ。鬼頭はドナーを単なる「死者」と見なしてはいない。「貴重な命がひとつ無駄になる」という鬼頭の言葉はドナーに対する最大の敬意を表したものであり、鬼頭が本物の医者であることの証でもある。それは朝田も同じである。術後のICUで雄太の母親から「ありがとうございます」と礼を言われた朝田は、自分の上ででもチームの力でもなく「心臓を提供してくれたドナーのおかげです」とあっさりと答えるのである。別れ際に「残念だったな」という松平の言葉に鬼頭は「私に不可能はない!」と言い切って見せた。心臓移植ができない山村をどう救うというのだろう?
 ドナー心摘出から移植完了までのタイムリミットは4時間だ。タイムリミットまで3時間25分で松平は雄太の生体肝移植を開始する。心肝同時移植のため、朝田も同時に開胸を始めた。麻酔導入前に荒瀬が雄太に「今からそろうよ。最高のチームが!!」と優しい言葉をかけていた。オペ室に入るや否や「時間ないよ〜」と7つまで数を数えることしかなかった荒瀬にしては珍しいことだった。チームドラゴンに入って一番変わったのは荒瀬かもしれない。
 残り3時間10分。オペは既に始まっていた。見学室で見ている藤吉は隣の片岡に「大人と子供では心臓のサイズが全く違う」ため大変難しいオペになると語る。雄太の胸が開かれ心臓が現われた。一度バチスタを経験している雄太の心臓は癒着が側壁にまで達していたのである。癒着剥離だけで時間はあっという間に過ぎてしまうだろうと片岡は判断していた。「これじゃ間に合わないぞ」という外山に対し、「癒着剥離を行う」と朝田は宣言し、しかも「最速で行う」と言い、「それができるのは俺とお前だけだ」と告げる。

 その頃、院内に霧島が姿を見せていた。トラックの横転事故で空港までの道を塞がれた伊集院は、ドナー心の入ったケースを抱え林の中を懸命に走っている。タイムリミットまで2時間30分。見学室で「このスピードでも全ての癒着剥離は到底……」と口にした片岡に対し藤吉は「難しいのは分かってる。それでも少ない可能性に賭けている。お前には分からないだろうがな」と声を荒げる。

 「私の父も医者だった」と片岡が呟いた。理想に燃え、大学病院を飛び出し、無医村へ行き片岡医院を立ち上げた。お金のない患者からは治療費も取らないような父親だった。しかし、虚血性拡張型心筋症を患い、助かる方法は心臓移植しかなかった。だが、無医村で金のない患者から治療費も取らないような医者に蓄えなどあるはずもなく、治療費が工面できずに移植を諦めざるを得なかった。さらに、病院設立の費用の取立てなどもあり、病院は閉鎖に追い込まれ、母も死に、父も病の中で荒んで行った。その頃、奨学金で医大に通っていた片岡は「医学の道を捨てた」のである。「お金がないために死んで行った愚かな父のようにならないために」とその理由を片岡は藤吉に語った。これが「信念のある医者には徹底的に潰れてもらいます」という片岡の最初の言葉の裏にあったのである。最初に推測したように医者ではなかったが、それなりの知識を持っていた理由も明らかになった。
 オペの状況を見学室から眺めている片岡の口から「だけど…だけど…」という呟きが漏れていた。「目の前に苦しんでいる患者がいれば手を差し伸べる。それが医者なんだよ」という父親の言葉を心の奥底にしまい込んでいたに違いない。しかし、それが朝田の「目の前に苦しんでいる患者がいれば、手を差し伸べる。それが医者だ」という言葉で否応無く呼び覚まされたに違いない。
 タイムリミットまで2時間15分。新潟から出られない伊集院から明真に連絡が入る。伊集院は「どんなことをしても持って行く。絶対に諦めない」と自分自身に懸命に言い聞かせていた。その頃、藤吉がなんとか配送の手配をしようとするが上手くいかない。そこへ片岡が現われヘリの手配をするのである。そして、「心臓到着まで後50分」となった。
 タイムリミットまで2時間5分。雄太の生体肝移植は松平の約束通りに無事終了した。ところがタイムリミットまで後1時間35分というところで、朝田は「癒着剥離終了」を宣言する。心臓表面の癒着の剥離は終わっていたが、側壁の剥離はまだ終わってはいない。「諦めたのか朝田!」と語気を荒げる外山を、「止めとけ61kg!」と荒瀬が制するのである。荒瀬の中では朝田への信頼から今後の見通しが立っていたのかもしれない。
 タイムリミットまで1時間10分。ドナー心がようやく到着した。到着が1時間近く遅れたことに加え、癒着剥離も不完全な状態であった。手術着に着替えた伊集院がオペ室に入ってくると、朝田は外山と前立ち(第一助手)をドナー心摘出に立ち会った伊集院に代える。そして「ピギーバックを行う」とチームに告げた。
 「ピギーバック(piggyback)」とは読んで字の如く、肩や背中に荷物を背負って運ぶ様を示す、語源の不明な英語の単語の一つである。主に輸送手段として使われる言葉だが、心臓移植手術の術式の一つとして正式には「ピギーバック法」と呼ばれている。ごく有名な例を挙げればスペースシャトルがボーイング747を改造したシャトル輸送機の背中に背負われて運ばれることも「ピギーバック」と呼ばれていた。つまり、既存の患者の心臓を摘出せず、新しいドナー心を既存の心臓に背負わせるように配置し、必要最小限の動脈静脈を結合する術式である。
 朝田は初めから全ての癒着剥離をしていては患者は助からないと判断していたのだ。そのために冠動脈をバイパスする心臓の表面の癒着だけを優先的に剥離していたのである。「18mmの人工血管を2本用意しろ。これよりビリーバック返付を行う」と朝田はチームに告げた。この術式では肺動脈と大動脈の距離が長くなるが、そこは18mmの人工血管でバイパスするというのである。

 見学室に姿を見せた霧島に藤吉は「成功する確率は?」と問う。霧島は迷わず「ドナー心はマージナルハート、弱った心臓だ。 しかも虚血時間、運んでる時間が長すぎる。0.1%(パー)、あればいいほうだ」と答えるのである。
 その頃、野口は自分を「励ます会」の会場で雄太の心肝同時移植を知り「止めろ!」と絶唱していた。片岡が野口が出かける直前に「恩田先生が先にお待ちです」と急かせ、その日のオペスケジュールを野口に見せないよう手を打っていたのである。「そんなことをするとあなたは明真にいられなくなる」今オペを止めさせれば患者は確実に死ぬ。過去49例の心臓移植では術中死は1件もないことを強調した片岡は、「このままパーティーを続けて下さい。でも、もし成功すれば日本初の心肝同時移植です。オペをしているのはチームドラゴン。必ず成功します」と断言する。朝田たちチームドラゴンに命を救われていた野口は片岡の言葉を信じ、「レッツ・パーティー」などと口にするほどすっかり有頂天になっていた。

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