黒いトランク(3) 鮎川哲也(あゆかわてつや)

 

 
Apple Store(Japan)
 前置きが随分と長くなってしまったが、ここで取上げる『黒いトランク』は『ペトロフ事件』を習作として完成された日本における始めての時刻表トリックと死体移動トリックを組み合わせた傑作である。氏自身が「いまもって私の小説をクロフツの模倣だという人がいるそうだ。クロフツの影響が濃いということは否定しないけれど、模倣だというのは情けない。この伝でいくと『赤い密室』を書いた私は、カーの模作者ということになりかねまい」と嘆いているように、当時の推理小説文壇では『黒いトランク』は正当に評価されていなかったようだ。2年後に発表された松本清張の『点と線』の評価に比べ、同じクロフツの影響下に書かれたことが明らかなこの作品との評価が、何故これほどにも分かれることになってしまったのだろうか?
 確かに既に「或る『小倉日記』伝」で芥川賞を受賞していた松本清張と比べれば、文章力という点ではやはりやや見劣りはするものの、「時刻表トリック」を最初に発表したのは鮎川哲也の方である。しかもフェアをきすために時刻表そのものを作品に挿入しているのである。とすると死体移動トリックが問題となったとしか考えようがない。両氏が共に範としたF・W・クロフツの『樽』には死体移動トリックが含まれている。樽に詰められた屍体がヨーロッパを移動するという画期的なトリックである。そしてそれが犯人のアリバイ・トリックに利用される。そういう意味では鮎川哲也の『黒いトランク』の方がクロフツの作品に忠実であったことは否定できない。
 クロフツの『ポンスン事件』に着想を得たとされる『ペトロフ事件』では「時刻表トリック」しか扱われていない。『黒いトランク』ではより複雑な謎の提起として「死体移動トリック」を加えたと考えるのが妥当だろう。『樽』と『黒いトランク』を読み比べて頂ければわかることだが、『樽』ではひとつの樽に詰められた女性の死体が移動するというだけで、そこに複雑な謎が組み込まれているわけではない。乗物によるアリバイ・トリックに利用されるにしても、鮎川哲也の『黒いトランク』では2つのランクが用意され、どちらのトランクにどのようにして屍体が詰め込まれ、入れ替えが行われたかというふうに死体移動のトリックも複雑に構築されているのである。
 鮎川氏自身「実を云うと、私がはじめて『樽』を読んだのは二十年も昔のことだったろうか、一読して、こんな退屈で無味乾燥な推理小説はないと思い、愛想をつかして本箱になげこんでおいたものなのである。それから一、二年たった頃、なにかの拍子で『樽』のページをくっているうちに、文中にミスのあることを発見した。そこで、小説はちっとも面白くないが全篇の中からミスを拾い上げ、読者である自分の手でこれをなおしてやろうと考えて、最初から読み返してみたのだった。ミスを探すためには一行もとばすことなく、納得を欠く箇所があれば何回もくりかえして、熱心に読んでゆかなくてはならない。ところが、そうした読み方をして一字一句を消化していくうちに、この小説の途方もない面白さに開眼されて、読み終わったときにはクロフツの魅力にとりつかれていたばかりでなく、自分でも試作するほどになっていた」と『樽』の解説で述べているし、「私の『黒いトランク』の場合は元日も休まずに書いて、しかもなお一年を要した。(中略)で、やっとの思いで脱稿したものの心配なことが一つあった。クロフツの『樽』と同じトリックを用いたのではないか、ということである。もしそうであったならば、一年間の苦労が無に帰する。だから、疎開先から帰京して第一にしたのは、狩久、黒部龍二、中島河太郎、渡辺剣次の四氏に一読を依頼して疑念をすっきりとさせることだった」とも述べているように、鮎川氏はクロフツの『樽』を熟知し尽した上で『黒いトランク』を執筆しているのである。選考会で『黒いトランク』を推して、江戸川乱歩は「クロフツをまねたのではなく、むしろクロフツに挑戦しているのだ」と述べたというが、妥当な発言だろう。
 また、エラリイ・クイーンがヴァン・ダインの『グリーン家殺人事件』を模して『Yの悲劇』を書いたことは有名だが、だれもエラリイ・クイーンをヴァン・ダインの模倣者とは言わない。クイーンの手法の巧さは、前例のあるテーマやトリックを巧みに借用しながら、前作の論理の矛盾や穴を見事に埋めてしまうところにあるように思う。『Yの悲劇』が『グリーン家殺人事件』の模倣と言われないのは、『Yの悲劇』が『グリーン家殺人事件』を作品として超えているからである。同じ理屈から鮎川哲也の『黒いトランク』がクロフツの『樽』の模倣と言われるのは、故ない非難であると私は思っている。
 都筑道夫氏は「黄色い部屋はいかに改装されたか?」の中で「どんなトリックでも、丹念にさがせば、かならず前例が見つかる。と断言してもいいくらい、文字どおりオリジナルなトリックというものは、まれなものです」だからこそ、本格推理小説には「トリックのつかいかたの独創性」が問題にされるべきなのですと指摘している。クロフツの『樽』は単に樽に入れられた死体が移動するだけですが、鮎川哲也氏の『黒いトランク』には死体の詰め替えというあらたなトリックの独創性が加わっている。しかも、クロフツの作品にはない時刻表がきちんと掲載されているということも見落としてはならない鮎川氏の独創性なのです。
 笠井潔氏が指摘するように二〇世紀の探偵小説の歴史はポオを原点として、その「模倣と逸脱」の歴史である。特に本格ミステリィと呼ばれるものは、その原点にあるいは原点にあるコード性に忠実であるだけに、ともすれば先行作品の模倣と見なされかねない危険性を秘めていることは否定できない。しかしすぐれた作品は「模倣から逸脱」することでその作品価値を高めてきたのではなかったか。音楽や絵画や詩などのようにオリジナリティの高い芸術作品ではともかく、資本主義化の市場原理により、多作を要求され続けてきた十九世紀以降の作家たち、特に大衆作家と呼ばれる人たちはある程度の模倣を余儀なくされたことも事実である。
<BACK・・・・NEXT>

 

    time

 

・ Hello ・